「この人でいいのかな」が消えないとき
悪いところは見つからない。でも、これだ、という確信もない。決め手を探しているうちに何ヶ月も経ってしまう——その「決め手」は、探しても出てこないものかもしれません。
決め手が無いのは、相手の問題ではないことが多い
何回か会って、大きな不満は無い。話も続く。条件も悪くない。それなのに「この人だ」と思えない。周りに相談すると「ピンとこないなら違うんじゃない」と言われて、余計にわからなくなる。
このとき私たちは、決め手が見つからない理由を相手の側に探しがちです。何かが足りないのだろう、と。でも実際には、決め手というものが、そもそも向こうからやって来るものではない、というだけのことが多い。
「確信してから決める」は、順番が逆かもしれない
確信があってから決める、と思っていると、いつまでも動けません。確信は、決めたあとに、時間をかけて育っていくものだからです。
結婚した人が「この人だと思った」と語るのは、たいてい後からの再構成です。渦中では同じように迷っていて、決めたあとに「あれが決め手だった」と名前をつけている。順番を逆にして記憶しているだけ、ということはよくあります。
もちろん、迷いのなかに「この人とは無理だ」という感覚がはっきりある場合は別です。その感覚は大事にしてください。ここで話しているのは、嫌ではないのに決まらない、という状態のことです。
減点で見ていると、誰も残らない
会う人数が増えるほど、目は減点方式に寄っていきます。前の人にあったものが無い、という見方が積み重なる。すると、誰もが「何かが足りない人」になります。
厄介なのは、この減点が一人の相手のなかで完結しないことです。Aさんの穏やかさとBさんの安定と、Cさんの話の面白さを全部持っている人、という架空の人物が頭の中に組み上がっていく。その架空の人物には、実在の誰も勝てません。
迷いの中身を、三つに分けてみる
「この人でいいのかな」は、実はいくつかの違う迷いが混ざった言葉です。分けてみると、対応がまったく変わります。
- この人の、この部分が引っかかる(=相手についての具体的な迷い)
- 結婚そのものが、まだ怖い(=相手とは関係のない迷い)
- 他にもっと合う人がいる気がする(=比較対象が想像上の迷い)
一つ目なら、それを言葉にして確かめればいい。話してみて解けることもあるし、解けないなら本当に合わないのかもしれない。二つ目は相手を変えても消えないので、相手選びの問題として扱うと迷路に入ります。三つ目が、いちばん厄介です。
「もっといい人がいるかも」は、いつまでも消えない
三つ目の迷いは、原理的に解決しません。世界のどこかにもっと合う人がいる可能性は、いつまでもゼロにならないからです。だから「いない」と確認してから決めることはできない。
できるのは、比較の相手を実在する人に限ることだけです。いま実際に会っている人たちのなかで、同じ物差しを当てたときにどうか。想像上の誰かを土俵に上げない。それだけで、迷いはずいぶん扱いやすい形になります。
決め手の代わりに置けるもの
確信の代わりに使えるのは、具体的な場面を思い浮かべてみることです。抽象的に「この人と結婚できるか」を考えると答えが出ませんが、場面まで下ろすと感触が出てきます。
- 熱を出して寝込んでいるとき、この人に来てほしいと思うか
- 嫌なことがあった日に、話したいと思うか、話したくないと思うか
- 十年後、同じ食卓に座っている絵が浮かぶか
- この人の親と、年に何回か会えそうか
どれも点数にはなりません。なっては困ります。ただ、こういう問いのほうが、「決め手」よりずっと具体的に自分の答えを引き出してくれます。
それでも決まらないなら、決めないことを決める
最後にひとつ。今日決めなくてもかまいません。
ただ、宙ぶらりんのまま置いておくのと、「いまは決めない」と自分で決めておくのとでは、消耗がまるで違います。前者は毎日少しずつ削られ、後者は一度置けば静かになる。保留するなら、保留すると決める。 それも立派な判断です。
この比べ方を、
そのまま道具にしました。
- ・比べるボード — 先に自分の軸を決めて、複数のお相手を同じ列で並べる
- ・冷静クエスチョン — 空欄になっている論点を、話せる形の質問にする
- ・締切やカウントダウンで決断を迫る機能は、既定で切ってあります
- ・相性を点数で断定したり、お相手を順位づけしたりはしません
出会いを提供するサービスではありません。すでに出会っているお相手について 考えるための道具です。記録は端末の中に保存されます。
